大芥子小芥子

はいーのハイのハイ

文化財でもあるまいに

ツイッターイーロン・マスク買収以来あんな感じで、そこに何事もなかったかのように投稿し続けるのは、さすがまずいのでは、という気がしないでもない。多くの人は上記のような焦燥感はやはり持ちつつも、とりあえず今日も続いているのだから、と一日一日をなでさすりつつサイトを使い続けてるようだが。

ここへきて、私も少し考えた。自分とツイッターの関係は、2007とかその辺の何がなんだかわからないまま登録したことに遡り、3・11を境に離れ、その後アカウント数回作っては壊しを繰り返し、それらのうちの壊されなかったものを維持したまま放置、していたのが、今年2022年に来て、とりあえず日課として、毎日読むものを探す態勢を維持してみたここ数ヶ月の果てに今日があるのだが。

たとえば、今後ツィッター残留派に降りかかる厄災としては、どんなことがありうるだろう。言論の自由の名のもとに、ヘイトスピーチ無法地帯になるのは、もう必至として、完全有料制となるか否か、その移行が徹底した暁には、それがいつかは勿論問題として、それを予見するような現象はしかし既に起きている。これは今年久方ぶりの復活するなり確認済み。

これを敷衍してしばし鑑みれば、有料仕様を一般化、大衆化した暁には、無料で使用を続ける会員とそのツィートはたとえ存在が許されるとしても、亜流下流使用者として、当然周縁に追いやられるに違いない(となると、ツイートすることは形式上許されても、誰もそれを読めない、読まない、という運びになるだろう)が、これは、そもそも、マスクが買収する以前から、既に、現象として事実起こっているので小規模ながら実証済みではないか。ただ、そのツイッター経営原理が、より加速とするとなれば、そこでツイートし続ける人たちがまだいるか、いればいかほどの、という問題か。

たとえば、IG、インスタグラムみたいなものになると、アレってそもそも写真がうまく撮れない私にような輩にはほぼ用のない場所で、それを承知で、あの書き込むことに不向きなサイトに無理やり長文を書き込む気にはならないが、実際にはそういう人たちが多くあり、果てはその文章専用のコピーライター(ゴーストライター?)を雇っている人たちも多い、と知った際二はぞっとしたのを思い出す。IGは他の使用者からの再投稿(RTのような)がかなりしにくいので、そもそも私には輪をかけて無用化、放置が進む。しかしIG最大の問題は、画像から視覚に訴えること(のみ)に集中した構造よって、恣意的かつ肯定的に解釈し得る内容を投稿することが前提で、それはその画像に背く意見や批評が成立しにくく、受けてもそれでいい人だけが見に来る。よっってそれは徹頭徹尾「営業」向けであって、商売っ気のない人は、維持しにくいものがある。つまり、経済を動かす際最も必要なもの、肯定、という原則に忠実で、その点ツイッターとは、金儲けという点で共通しつつも、異なる点ではあるまいか。

たとえば、ツィッター、マスク前でも、2022年、余程気をつけていなければ、タイムラインでは、フォローしている人たちのツィートよりも、サイトが優先して強制的に流してくるツィートを一日中読む羽目になってしまう。こうなってしまうと、誰にせよ、フォローをする意味はなくなるし、そうなると、ツィッターとは、我々は、何するためにみんな参加しているのか、という根源的な疑問につきあたるのではあるまいか。(答え:無料サイトに無料だからと参加しているうちに、無賃労働させられている。)

私は、そもそもツィッターで何か発言したり、意味のあることを書き込んだり出来ないので、ツイッターは自分が他所で書いたもののお知らせ、リンクを載せる、だけであとは面白いと思った読み物等をリツイート、というか、キュレーション、が第一義となっている。確かに、そうでもしなければ、いまやニュースレター(メールマガジン)やブログみたいなものの読者を一から募ることはほぼ無理、という時代になっている。そうでなくとも、読んだり書いたり、というコミュニケーションの方法がさすがに廃れて久しい。

しかし今日ツィッターの陥る未曾有の混乱をみるにつけ、あそこへそもそも読者のない、自分のような者が出ていって新たな読者層を獲得することがある、またはそれをやる意義があるのか、という疑問は大いにあり、そしてその答えも既に出ている。

ちなみにこの古式ゆかしいはてなサイトを再考する経緯になったも、やはりツィッターで、マストドンとかではなくはてなブログがえりがこれからブームになる、という触れ込みでまず自分がブログアカウントを構えてみせる、という男前な方(といって男子ではなく女子の方で)の発言を目にしたのがきっかけだ。自分も、と調べてみると、出てきたのが、これ。いつ作ったのか不明だが、作った切り完全失念、放置したらしい。いまアイコンに適宜な画像を探している。