放置癖をどうにかしたいのですが、日本語が信じられません
書きたいことは、特に日本語の書物を読めば、日本語で、湧き出すものの、結局書かないまま更に数日数ヶ月。今年に入って、厳密には5月より、十年近く読んだことがほぼなかった日本語書籍に再びアクセスし出したため、専ら記録の為に、読書メーターを使っていたのだが、パスワード遭難に陥り、一アカウントほぼ諦めいちから出直しの憂き目に遭っている。いや、ここなり、noteなりに書きゃいいのだろうが。夏の間、感想を書くとそれに応じてポイントの配当があり、それにより電子書籍が手に入るという催しがあり、それに乗じて伊藤比呂美御大の「女の絶望」を入手、一気読みして、考えた。かような機会が与えられれば、私は伊藤氏に何を相談するだろう、と。
意味深って ニュースが本気でつかっているよ
今日日本語ユーチューブをを見ていると、藤田小女姫さん殺人事件の犯人とされ米合衆国ハワイ州の刑務所に服役していた、えーっと誰だっけ、がなんと他の囚人によって去年秋ぐち刺殺されていたことを知る。私がこの事件の大まかなあらましを知った時この犯人とされている人物は既に癌で余命いくばくか、という頃で、それについては、数年前あたりに知ったのだったが。それでも、死んでいたとは。しかも、その予測された癌による寿命ではなく、殺人によってとは。
で、このコトトメさん殺人事件のややこしさ、については、ユーチューブ犯罪解説チャンネルに譲るとして、(この犯人とされた彼、どうも部分的に巻き込まれているものの、実際の殺しや問題の核心部の本当の暗黒界の動きを検証した場合、本当に濡れ衣でぐるぐる巻きにされて生贄にされて葬られたらしさ濃厚)私がいてもたってもいられない程憤ったことがあり、それについて。
被告、後に有罪判決の後、何か誰かに送る暗号風、かなり芝居じみた、声明を述べている。この映像は今日私が観た映像も含んでいたが、(「何もいいません、何も言いませんから私の回りの者らに危害を加えないでください」)、この広く流布した映像をして、「意味深な発言」「意味深」って、テレ朝アナウンサーがしきりに連発しているんだが、意味深って、意味深長という言葉を略した俗語である、と知っているのかいないのか。俗語として然るべき場でいくらでも云って何の不都合もない程、定着はした言葉がこの意味深、なのだろう。しかし、放送に従事している人が、自分で馬鹿な言葉をそうと知らずに大真面目に云っている、という場面に遭遇して、いや、久しぶりにあらゆる障害を乗り越えてでも日本語でこの苦しさを表現したい気になったよ。助けて、吐きそうです!
自己実現としての殺人 青葉被告を巡るあれこれ
私の目下関心事は、専ら京都アニメーション放火殺人事件裁判の行方なのだが、現在の時点までで、考えたことを以下羅列:
- 裁判前までに既に大々的に流布してしまっていた青葉被告の「母親以外総自死家系」は、事実ではなかったのか(そもそも出元は日陰の声‥かデイリー新潮か?)訂正はしないのか?)
- コンビニ強盗の出所後の医療、行政、福祉の連携プレイが少しでも行われていたらここまで酷いことにはならなかった筈では
- 青葉被告は、自分が、アニメ等の製作側に入りたい、そこで身を立てたい、という裁判で述べていたような動機によって行動していたのでは実はなく、京都アニメーション(社が世に提示してきた作品郡)のような世界の中に住みたい、という非現実的な願いが行動の動機になっていたことを、自分では知っていたのか
- そのアニメ内の夢の世界は、自分の苦しみや欲望が自動的に癒やされ充たされるユートピアで、その楽園内へ入り込むには「小説」を書けば、それが自動的アクセスキーワード獲得方法なり、それによって、自分も楽園住人は勿論そこの主になる(女性監督との縁組によって)、というような思考回路で
- 小説を一度ならず書いたにも関わらず、その後「ひらけごま」の展開がなかったことで、ユートピアから残酷に翻弄の果て拒否されたと感じ、その展開に衝撃をうけるが、自分の錯乱した思考回路には思い至らず、未曾有の凄惨な大量殺戮を敢行する。
- しかし、例えば百歩譲って彼の作品が当選或いは公に登用され、世に出ることになったとしても、アニメの世界の中に住むのとは永遠に異なる、ただの現実が続くだけだから、また別の形の「裏切り」の被害者に自分があったとしいて、そこに憤慨して、またどこかで集団殺人を志したり、敢行していたりしていないとは誰にも云えない
- この願い、拒否、絶望、怒り、とは、(月並みながら)被告の母親との幼少期よりの関係の、更に拡大された、しかしれっきとした反復なのでは。
- 母親の存在は、被告の精神には裏切りとして映じ、定着し、それが払拭されたり、変化や克服されるような機会がないまま、疎遠になった(母親から支援を拒否されて以来)
- 裁判では触れられていないが、青葉被告は過去の服役中に、既に統合失調症として診断を受けつつ、出所後然るべき服薬も治療も中断されており、それが招いた心身耗弱であり、幻覚性障害を患っていたのは否定できない事件の要因となっている筈
これより毎日
特別お題「わたしがブログを書く理由」
ここ以外数点ブログを運営してはいて、それはいろいろとあり、それらは総じて手入れされていないのだが、はてなが一番ローキーで気楽なのかな。
ここ以外
http://supnsugar.blogspot.com ユーチューブ googleの日に日に厳重さの増すアカウントサインイン承認に辟易し、絶賛放置プレイ中
https://marioluigi.theletter.jp/ 精力的に作るだけ作ってみたニュースレターアカウントだが、まだ始まってもいない。
日本語のサイトで、リンクツリーのような、複数(多数)のリンクを総てに集めて貼るリンクサイトみたいなものは、なんだろう?無い筈はないのに、いままで知らない。どなたか、これをお読みで心当たりのある方、ご教示乞う。
携帯執筆人口とは
特別お題「わたしがブログを書く理由」
以前ここでも述べた気がするが、携帯電話でブログ原稿を書き、そのまま発表する層は実は今日のネット界では大多数を占めるのか、という疑問或いは仮説のようなものを持ち出してからもうしばらくになるが、その仮説が立証も覆されることもないまま、私自身がその携帯文書入力へいま現に参入しており、例えば今書いているこれは、覚束ないな柄、携帯で書いているのだが、書いている間、無呼吸で泳ぐような無茶さがある。
上記段落は携帯書きしてから保存し、いまラップトップでこれを、息をする余裕を持って眺め、書いている。
これを書き出した際のテーマは、どこのブログに何を書くのが適切なのか、ということを考えあぐねている間に一年も二年も経ってしまうよという話で、これ以上の時間の損失を防げ、ということで、まず、至るか至らぬかを考えずに書いて人目に晒してしまうことに。
私がほうぼうへ書き散らし、かつまだ存続しているものの中で、一番おもしろいのは実は読書メーターだな、ということに気づいた。
近頃 あなたたちは 只々 「剥キ愛」 「寄り添い」 「紐付け)てばかりいる
最近気にかかりだした、おそらくは「はやりことば」のような表現なのだろうが、見出しに挙げた三語。
向き合うとはかつて云われた表現だったら、「取り組む」だったのでは。
寄り添うとは、「尊重する」?
紐付けるは、単純に関連付ける、つなげるというような意味なんだろうが?
それにしても、なんでそんな至らない表現を使うのか、というだけではなく、その言葉ばかり使うのか。
よろしく恩讐
インターネットで行き当たる日本語は随分とおかしなものが多い。個人の発したこなれない表現等を取り沙汰するつもりはなく、専ら映像ニュース原稿や画面の見出しに、仰天ものの誤用や誤謬が多いことに目を瞠り日常茶飯となればメディアに触れることがいたたまれない、ということになり、それもそのうち自分の狭量こそが問題かという倒錯が常態、という有様。そのような放送事故なみの「阿呆」な日本語でも、それがとりわけ訂正されず看過され続ける場合、その果てには、受け手がそれを「放送されている」よって模範の表現として意識的・無意識的に模倣、運用し、それがある程度の数となることで、定着していくというわけだ。こんな嘆かわしい日本語界で、頓馬な日本語、恥ずかしい表現を記録しなければと思いつつはや何ヶ月。
そこで、思い立ったが吉日、まず今日は、上記の企てに関連しつつ、少し外れるか、という題材、むしろ雑な見出し、欠陥コピー、を解説添削したい。近頃気になり考え続けているのはこちら。
- 「生ぬるい溺愛」
これは現在進行中すすきの頭部切断事件の報道の中の一つ、テレビ 朝日の、容疑者(瑠那)の祖父、修の父にあたる人物が取材に応えた際の発言を要約した回の報道画面の見出しなのだが、これ、「生ぬる」いのは、指摘されている田村親が子に為した「溺愛」ではない。寧ろその「溺愛」レベルは、「もうひどいもひどい」とおじいさん自身がその遺憾をその場でも苦しみつつ表現せざるを得なくなる程の、つまり「度しがたい」もの、であるという。生ぬるかった、のはそこで端折られているものの、しかるべき「しつけ」であり、さとし導くことを専ら回避した親の態度、つまり必要最低限の社会性を欠くまま殺人を敢行する子を容認のみならず積極的に支援した、倒錯を矯正出来ない親が築いた子との関係である。よって、生ぬるい溺愛、となると、朦朧と何かは伝わるものの、事実からかけ離れる一歩手前の誤謬は既にはらんでおり、報道の見出しとしては、恥ずかしい至らなさ。すくなくとも「常軌を逸した溺愛・生ぬるいしつけ」が前触れとしてあった、今日の事件なのだが、しかし、この子供、といっても二九歳だよ。しつけ、とか溺愛とかいう話題に集中するような年齢では、ないのだが。